株式会社LIB代表 ローラ静香
美容サロン経営コンサルタント
【BEAUTY LINEクリエイター】
- ミセスジャパンインターナショナル2020
グランプリ獲得 - コミュニケーションカラーコンサルタント
- アロマセラピスト
- 量子力学コーチ
- 九星気学、十二支、方位学、運勢バイオリズム、傾斜法、
陰陽五行、風水、認定講師 - 全米NLP協会認定NLP
マスタープラクティショナー
こんにちは。
ビューティーLINEクリエイターのローラ静香です。
誰もがオーロラのように輝くことができるようにと
【ローラ静香】と 名づけました。
HPをご訪問していただきありがとうございます。
現在はビューティーLINEクリエイターとして、
まつエクサロン・美容室サロンなどの
アフターコロナで生き残るための集客や
売上アップやオンライン化などの
支援をしています。
私の事を知って頂くため
少しだけ過去の話をさせてください。
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私は神奈川県平塚市というところで、(看護師一筋、実家が百升)の娘、母親のもとに 3人兄弟の末っ子として生まれました。
小さい時から綺麗になる事がとても大好きだった私は、保育園から帰ると食事の準備をしている母を確認し、 2階にある母のドレッサーからこっそりとメイク用品を取り出し、秘密で母のやり方をまねて見よう見真似でメイクをしておりました。(仕上がりはバカ殿様みたいでしたけど(笑))小学生からファッションが大好き、翌日着ていく服を決めるのに何回も着替たり、昔に流行ったベルボトムとか、前髪にケープをかけてマルク仕上げたり、 髪型も天然パーマが悩みだったので、友達のお母さんが美容師だったので子の悩みを解消する何かがあったら教えてほしいと切実に聞いて、 縮毛矯正のモデルでやらせてもらったり、 母が仕事でいない時間が多かったので、サッカーしたり、野球をしたり、ザリガニを取りに 行ったり、川へ泳ぎに行って友達が溺れかけて焦ったり(笑) 誰の許可も得ず自由に様々なところへ冒険をしに行っていました。
とにかく好奇心旺盛、そして目立ちたがり屋(まさにジャイアン女子(笑)) そして、高校生の時に目元が美しくなる事に小学生のころから誰よりもこだわりと情熱があることに気づきました。
15分もかけてマスカラだけ塗って高校に行っていたりしました。目元がうまくいかないときは気分も違うし、私の中で目元はとてもとても重要なパーツでした。20 歳で母を亡くし、自分の好きなことを仕事すると決意し その時に丁度よいタイミング通っていたまつエクサロンでアイリストという職業に誘って いただきました 小さいころから綺麗になることが大好きでしたので、 やり始めた瞬間からやらされていた仕事から、やりたくてやっている仕事に変換した瞬間でした。
そこからはもう誰にも止められないくらいの能動的に誰から何を言われるわけでもなく夢中で仕事に励んでいました。自分が成長していくこと、技術がやればやるほどうまくなっていく日々に楽しくてたまりませんでした。自分の技術でお客様が自信をつけて変容する姿だったり、理想の目元に変わるだけで満面の笑顔になって帰っていただけたり。
そして綺麗のお手伝いをさせていただく事がこんなにも幸せで貢献に満ちた時間、やりがいのある仕事は初めてでした。飽きることもなく、【天職】に出合えた喜びで毎日楽しかったのを覚えています。3年ほど経って私は結婚することになり、【幸せな家庭を作る】事も夢だったので、子供が 凄く欲しいけど、 仕事はやめたくない・・・
沢山の葛藤がありましたが、考えた末に家庭に入る事にしました・・・23歳で結婚、出産を機に退職しました。子供も生まれ、6か月。
子供もすくすく成長していました。
しかし、この時に当時の旦那が仕事をクビになって帰ってきたのです。そこからの出来事は私の人生は大きく動き始めました。 当時旦那が音楽関係の仕事をしていたので独立しスタジオを創る事になりました。借入4,000万をして、店づくりから全てゼロからスタートしました。(防音だから大変・・)
お店のデザインはわたしがやる事になり、テナント作りをゼロから全て作りました。手探り状態で設計から何から全て壁の色も雰囲気も全て考えました。そして建設等2か月ほどかかった準備を得てとてもとてもワクワクして迎えたオープン前 日(プレオープンの日)この日が人生の分岐点になるとは想像もしていませんでした。上階の住人から突然「うるさいんだけど!!」 音漏れ発生。
なんとオープン前日で4000万かけて借金して作ったスタジオがいきなり、オープンさえできなくなりました。友人たちからの応援で頂いたお花だけが虚しく咲いていました。
そして突然のこと過ぎて私の心は一瞬、目の前が真っ暗に変わりました。当時夫は心が折れてしまい、すべてを投げ出したい様子でした。とにかくこのままでは借金もあるし生活ができなくなってしまうので、目の前の家族を守るために何か必死に考えなければいけない。私ができることは何かとそれは今までの考えましたが、経験を活かしまつエクのサロンくらいしか思いつきませんでした。何もかも急展開。
とにかく起業しなければ生きていけない状でした。だけど突然のこと過ぎて、大きすぎる不安で中々決断ができない・・・けど迷っている時間もありません。心の中では・・
・失敗したらどうしよう・・・
・自信がないし何から始めたらいいのか・・・
・お店をやりながらどうやって子供を育てればいいのか・・・
分からないことだらけで大きな恐怖で中々決断ができません。しかし、ふと目の前には・・・
守らなければいけない息子が無邪気に遊んでいました。 「この子を守る・・」 そう考えたら迷いなんてどこかへ消えていました。
決心したのは良いが、今まで雇われのスタッフでしか仕事をしたこと無かったので、どうやって起業したらよいかもわかりませんでした。・技術には自信があるけど、経営の勉強なんてしたことないのに大丈夫なのか。
・それからどうやってお客様を集めたら良いのか・・・
・そもそも会社やホームページってどうやってつくるの?
こんな状態でしたが周りの人に聞いたり調べたりしながら なんとか開業書類も何度も行ったり来たりして、やっと登記できました。そして私がまずお客様を集めるためにやってみた事は(はじめの1か月は)とりあえずチラシを作ってスタッフと走り回って 6,000枚撒いたが来店は 1件。
さすがに落ち込みました(笑) ただsalonで雇われて働いていた時には気づきませんでしたが、お客様が1件でも来店してくださるのがありがたく感じました。
その後は、お店を知ってもらうためにお店のホームページ、チラシ、媒体・・
2 か月目からホットペッパービューティーに掲載してみるなど集客にいいといわれるものは全部やりました。そしたら新規のお客様が沢山来てくださったんですね!!当時は私だけでしたが 2か月程で売上が 60 万を超え 5か月後には 120 万を超えていました。この時に集客には何が効いて何が効かないかなどもわかってきました。
新規集客のやり方が分かってきたので そこからは来店してくださったお客様がどのようにしたら喜んでいただけるか継続的に来て頂けるのか追求の日々でした。
お客さんに沢山アンケートをとってみて お客様が求めていればその場で メニューにはないその方専用のメニューを作ってみたり、その方専用のまつ毛を買ったり その方のニーズにこたえるために 200%持続力のまつエクを開発したりしました。また関係性の構築をするために定期的に連絡を取った、お誕生日を覚えておいてサプライズなどやることでリピート率を高めることに専念しました。その時、一つとても大きな気づきを得ました。それは、お客様に提供する技術も大切だが、リピート率や単価を上げるには カウンセリングが何よりも重要である事に気づきました。
カウンセリングでパーソナルなお客さんの悩みに一つずつ 答えていけばさらにお客様に喜んでいただき、さらにお友達も紹介してくださるまでになっていました。そしたらさらにどんどんどんどんお客様が集まってきた。
当初は借金が返せて家族が食べられたいいと思っていたので 店舗の拡大やスタッフを増やすことも考えていなかったのですがせっかく来てくれるお客さんや紹介してくれるお客さんのニーズに答えるためにスタッフや店舗を増やすことになりました。今度は社員の雇用を守るために自分の感覚だけではだめだ もっと仕組化しなければいけないと思い 顧客管理、囲い込み、売上表もスタッフに分かるようにしなければということで サロンボードの予約システムを理解する必要があったので 経営学を学ぶためにいろいろなコンサルタントに学んだりもしました。
そしてこのころにはまつエク業界もコモディティ化も進んでいたので、他店と違いを出す必要がありましたので お店のコンセプト作りや【40 代向けエイジングケア】や【カラー心理学】と組み合わせたまつエクのメニューを作ったりし 差別化に勤めました。
数え切れないほどの失敗をたくさんしましたが、売上のあげ方、仕組み化、トレンドとのかけあわせ。そして独自性の出し方。オリジナル技術を開発 独自の売りができ、改善を繰り返す事7年。
気づけば年商2,000、3,000、4,000万とどんどん増えていき、スタッフ10人。
店舗も2店舗になり4000万の借金もほぼ完済することができました。店長まで頑張って育ってくれたスタッフ、会社の「人」の教育も進んでいました。
このころ収入は上がり、キャリアとしては成功していったのですが 私には一つ大きな問題がありました。それは一番の土台となる家族の関係、とくに一番身近な旦那との関係性を無くしている状態でした。私は旦那が作った借金を返すために、死ぬ思いをしてお店を頑張っているときに 仕事もせずまともに手伝いもせずに毎日、毎日パチンコにいく姿をみて私はうんざりを通り越して呆れ、気づけば恨みにも変わっていました。
お店が大きくなってくること他の経営者との人間関係が出てくると旦那が突然、ストーカー、DV,金銭的脅し、職場荒らしをするようになりました DVにより自尊心が消えていく 仕事に身が入らずに言葉によって心が死んでいく 私は何のために生まれ、何のために働き、幸せとは何なのか考えるようになりました。
私はずっと子供の為に我慢をしてきました。ただ初めてこのままでは私は死んでしまうと思い【自分の人生を生きる】と決断し離婚を相談しました。その結果として私の生き様でもあったサロンも奪われて全てを失ってしまったのです。 自分が今まで培ってきたサロンが急に生活から消えてしまったこと、スタッフとの急な別れ。今まで培ってきた人生そのものが無くなるなんて全く考えていませんでした。
この先、子供を育てていけるかとか自分の人生はどうなるのか 何度も何度も夫を許せない自分との葛藤がありました。
シングルマザーとして生きることになり全てを失いましたが 持っていた技術やスキルは奪われてなかったことに気が付きましたそして無一文になった代わりに、困ったときに家族のように助けてくれた人やたくさんの人格者との出会いを通じて学び、気づきを得て代わりにもっと大切な沢山のものを手にしました。
手放すものが大きかった代わりに入ってくるものもとても大きくありましたフリーランスアイリストとして子供を育てていくには十分の収入を得ることもできました。しばらくしてコロナウイルスの問題が起きました。
緊急事態宣言が出され 知り合いのところもたいへんになった。全く新たな生活様式になってビフォーコロナとアフターコロナでは 違う世界になってしまいDXしなければ生き残っていけなくなった。いろいろ相談にのっていくなかで解決策としてLINEにたどり着いたのです。
LINEは日本で8400万人が使っているコミュニケーションツールですがまだまだ美容salonでは多くの人が上手く活用されておらず サロン経験者様がこれからの時代を生き残っていくためには 非常に大切なツールであることが分かりました。
さらにLステップというLINEのツールを使うとお客様との関係性構築を自動化しリピート率をUPさせたり、予約や物販なども効率化でき忙しい経営者さんの悩みをどんどん解決することができることもわかり技術を習得しました。現在はこれまでの店舗経営のスキルやノウハウとLINEの技術を 組み合わせたスキルをサロン経験者にお伝えし集客や売上アップまた「オンライン化」の支援をしたいと思いビューティーLINEクリエイターとして活動をしています。
アイリストやサロン経営者の方の少しでも助けになる情報を共有できればと思っています。